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懐かしい…当時中学生の自分には頼み込んで買ってもらったカメラが精いっぱいで、ビデオなんて到底手にできるものではなかった。出雲市から福知山まで乗り通して、0:30のだいせんで出雲市に戻るパターンをよく使ったなぁ編成最後端や床下から立ち上る蒸気がまたイイ!!貴重な映像、ありがとうございます。
同じような乗り方してました。福知山から乗るとだいせんは絶対座れなかったですね。所定自由席1両、増結でも2両。山陰号が無くなった代わりの自由席でしたね。
0:45えっ!?国鉄時代からLEDの発車標あったの!?
相模の住民 61.11から使われました
旅一郎驚きましたわ…
相模の住民 そんなに昔ではないですよ
旅一郎そうですか…ありがとうございました…
デッキと客室を仕切る引き戸・・・静かにしっかりと閉めていく人力まかせに「ズシャーン!!」って閉めていく人開けたまま閉めずに行っちゃう人中途半端に締められて列車の揺れと共にフラフラ動いてる様子・・・そんな風景を思い出しました。旧客だったらデッキの扉もそんな感じでしたね。全開時に不意に閉まらないよう床から板バネとか壁にキャッチャーが出てたような記憶があります。
あのデッキの扉のガラガラっという音の響きが蘇ります。鉄製扉と誓って、どこか木製の響きがありましたね。デッキのドアを開けた時、そのスプリングのビヨーン(なんと表現したらいいのか)という音も思い出しました。
ストッパーの板バネが擦れる時の「ショッ」とも「シュピョ~~ン」ともつかない、その類の音でしょうか。仰りたいこと、わかりますw深い青緑色のシートモケット、あの色が大好きです。
子供の頃に人生で最初で最後1度だけ紀勢線の和歌山から藤並まで行った時に旧型客車に乗車した事を今でも鮮明に覚えています。たしか木造で扉が開けっぱなしトイレ垂れ流しでしたがそういう辺りが嬉しかったので「銀河鉄道999に登場する客車と同じや」とはしゃいでいましたね。牽引機は竜華のEF58でしたね。今では味わえない客車列車っていかにも旅行しているなという感覚になりますね。
46shamsham 僕も小学生の時に初めて乗りましたが、同じ普通列車でも、近所の電車と比べ、ボックスシート、デッキ付き、各車両にトイレあり、ニスが光る車内が豪華に見えました。
素晴らしい……
ありがとうございます。532列車は他にもシリーズで作ってますのでそちらもよろしくお願いします
85年~’86年にもう残り少なっていた旧客をおいかけて、函館線や山陰線詣でを繰り返していた頃を思い出しました。あれから、もう四半世紀以上が過ぎ、まだ若いと思っていたのに気がついたら、齢五十をとうに過ぎ、すっかりおじさんになってしまいました。私はいわゆる乗りテツで、写真はちょっとかじりましたが、動画は全く経験がなくあのころを偲ぶものが手近にありません。貴重な動画を見せていただき、ありがとうございました。
KUNI 評価いただきましてありがとうございます😊僕も同じ頃最後の旧客に乗ってまして、この素晴らしさを後生に伝えられるようにビデオを買いました。動画は最後の半年分を撮るのがやっとでした。ユーチューブのおかげで光を浴びる事ができ嬉しく思います。
大阪に住んでますが、うちの母親の実家が、柏原だったので帰省時には必ず鉄道で帰ってました。行きは急行が多かったけど、帰りは普通だったので高確率で旧型客車に乗れましたね。母親も何故か鉄道で帰るのが好きで、親父が一人車で母方の実家に来てました。これが小学校の時迄。中学になってからは、一人若しくは友達同士で、旧型客車に乗りに行きましたね。急行や、ディーゼル等には乗らず、客車メインです。楽しかったですよ。弟に馬鹿にされながらも、鉄道好きの友人やクラスメイトと行きました。最後の旧型客車の日は、運動系のクラブに入ってたから行けませんでした。私も高校生の時ですわ。最近は、JRになって利益追求型になったのも有るが、寂しくなったものだと思っております。その母親も先月亡くなり、もうすぐ四十九日法要があり、思い出してカキコしました。
rialta6コメントありがとうございます。僕の中では、旧客までが日本でそのあとの列車はどこか知らない国の鉄道です。思い出に役立てて嬉しいです。
Nice video!
Boris Lu 谢谢
1980年10月改正の段階でもしぶとく残存していた4往復中の935列車(福知山08時42分発・敦賀12時17分着)は乗り応えがあり、かつ後述の123D以上に面白みのある旅情を掻き立ててくれる列車でした(綾部で京都06時44分発の123Dから12分待ちで接続)。そのため駅弁も一度改札を出て買おうと思えば買えた時代でした。しかしながらその935列車の到着約10分前に長岡行き旧客が敦賀を出てしまっていたダイヤだったため、敦賀での旧客同士での乗り継ぎが不可能なダイヤかと思われますが、935列車の41分後に発車する快速・富山行きが運良く福井で先ほどの長岡行き旧客に追い付くダイヤだったため、できないことはなかったはずです。窓をいっぱいに開けて外気を取り入れ、アルコール類かコーク(コカ・コーラのことです)などのソフトドリンクと簡単なつまみを車内に持ち込みながら大自然と若狭湾を眺める面白そうで贅沢な旅、今ではもうこれができないのが残念で悔やまれます。
若狭線旧客は、見ただけで乗る事は叶いませんでした。北陸も最後の激減化したダイヤにかろうじて間に合っただけでした。日本海沿いをずっと旧客で乗るのは楽しかっただろうなと思います
@@user-tabiichiro おはようございます。「若狭線」ではなく、正しくは綾部~東舞鶴間が「舞鶴線」、東舞鶴~敦賀間が「小浜線」の誤りです。しかしながら宮津線には終始旧客が走っておらず、福知山・綾部経由だと豊岡~西舞鶴~東舞鶴間では一度内陸部に入ってしまうため、海岸線を眺めることはできません。
rhscm989 そうでした、ここよく間違えるんですね
今にオイルの匂いとタバコの煙の匂いが臭ってきそうな雰囲気が、最高!
千葉雅裕 良くも悪くも昭和ですよ
うろ覚えですが小さい頃に乗った記憶がありますいいですね、旧型客車
記憶があるということはいいですね。本当に素晴らしかったですね。これこそ旅情でした
opショパンノクターン渋いですねこの曲は確か1979年に放送された日テレ熱中時代の裏番組にあたるTBSドラマ薔薇海峡で流れていたSUNTORYのCMで流れてましたが黒澤明監督がショパン聴きながらSUNTORY飲むのが渋かったです。確かに黒澤明監督同様渋味ある、旧型客車のそれもその最期には、ピッタリの曲かもしれませんね。鉄道とは関係ない話ですが多分、誰も指摘しない思いますので(笑)
Candy Candy ノクターンは好きで、クラッシックギターで弾いていました。ピアノも練習しましたが途中で挫折しました
これで夢の世界は終わりですか(。・_・。)切ないですね
n o そうです。僕の中で、国鉄の旅情は永遠に終了しました。
昭和38年から倉吉から米子に通うのによく乗ってたなあ当時 普通列車は(鈍行)長距離が多かったよなあよく乗ったのは西舞鶴行きとか門司行きとかねえ今は懐かしいですなあその頃の画像があればいいがねえ・・・
shuma nonona`s ありがとうございます。なんとか旧客廃止半年前に間に合わすためにビデオを買いました。その頃のがあればもっと今との比較ができてよかったですね
日本の旅情は終わった←私の中では と付け加えて下さい。他に旅情を求めているは人は沢山います。懐かしい映像をありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます動画中の字幕は後から編集できないので、先原版の動画を発掘したこともあり、リニューアル版を変種いたしますそれまではご勘弁ください。
そんなん書かかんでもわかるやろ
この映像は昭和61年10月30日じゃないか
宮内悠輔 そうですよ
乗っておられたのですか
まだ乗ってません。
別途フルバージョンをアップしています。、写ってませんか?
いいえ写ってません。
懐かしい…当時中学生の自分には頼み込んで買ってもらったカメラが精いっぱいで、ビデオなんて到底手にできるものではなかった。
出雲市から福知山まで乗り通して、0:30のだいせんで出雲市に戻るパターンをよく使ったなぁ
編成最後端や床下から立ち上る蒸気がまたイイ!!
貴重な映像、ありがとうございます。
同じような乗り方してました。
福知山から乗るとだいせんは絶対座れなかったですね。
所定自由席1両、増結でも2両。
山陰号が無くなった代わりの自由席でしたね。
0:45
えっ!?国鉄時代からLEDの発車標あったの!?
相模の住民 61.11から使われました
旅一郎
驚きましたわ…
相模の住民 そんなに昔ではないですよ
旅一郎
そうですか…ありがとうございました…
デッキと客室を仕切る引き戸・・・
静かにしっかりと閉めていく人
力まかせに「ズシャーン!!」って閉めていく人
開けたまま閉めずに行っちゃう人
中途半端に締められて列車の揺れと共にフラフラ動いてる様子
・・・そんな風景を思い出しました。
旧客だったらデッキの扉もそんな感じでしたね。
全開時に不意に閉まらないよう
床から板バネとか壁にキャッチャーが出てたような記憶があります。
あのデッキの扉のガラガラっという音の響きが蘇ります。
鉄製扉と誓って、どこか木製の響きがありましたね。
デッキのドアを開けた時、そのスプリングのビヨーン(なんと表現したらいいのか)
という音も思い出しました。
ストッパーの板バネが擦れる時の「ショッ」とも「シュピョ~~ン」ともつかない、その類の音でしょうか。仰りたいこと、わかりますw
深い青緑色のシートモケット、あの色が大好きです。
子供の頃に人生で最初で最後1度だけ紀勢線の和歌山から藤並まで行った時に旧型客車に乗車した事を今でも鮮明に覚えています。たしか木造で扉が開けっぱなしトイレ垂れ流しでしたがそういう辺りが嬉しかったので「銀河鉄道999に登場する客車と同じや」とはしゃいでいましたね。牽引機は竜華のEF58でしたね。今では味わえない客車列車っていかにも旅行しているなという感覚になりますね。
46shamsham
僕も小学生の時に初めて乗りましたが、同じ普通列車でも、近所の電車と比べ、ボックスシート、デッキ付き、各車両にトイレあり、ニスが光る車内が豪華に見えました。
素晴らしい……
ありがとうございます。532列車は他にもシリーズで作ってますのでそちらもよろしくお願いします
85年~’86年にもう残り少なっていた旧客をおいかけて、函館線や山陰線詣でを繰り返していた頃を思い出しました。あれから、もう四半世紀以上が過ぎ、まだ若いと思っていたのに気がついたら、齢五十をとうに過ぎ、すっかりおじさんになってしまいました。私はいわゆる乗りテツで、写真はちょっとかじりましたが、動画は全く経験がなくあのころを偲ぶものが手近にありません。貴重な動画を見せていただき、ありがとうございました。
KUNI 評価いただきましてありがとうございます😊
僕も同じ頃最後の旧客に乗ってまして、この素晴らしさを後生に伝えられるようにビデオを買いました。
動画は最後の半年分を撮るのがやっとでした。
ユーチューブのおかげで光を浴びる事ができ嬉しく思います。
大阪に住んでますが、うちの母親の実家が、柏原だったので帰省時には必ず鉄道で帰ってました。行きは急行が多かったけど、帰りは普通だったので高確率で旧型客車に乗れましたね。母親も何故か鉄道で帰るのが好きで、親父が一人車で母方の実家に来てました。これが小学校の時迄。
中学になってからは、一人若しくは友達同士で、旧型客車に乗りに行きましたね。急行や、ディーゼル等には乗らず、客車メインです。楽しかったですよ。弟に馬鹿にされながらも、鉄道好きの友人やクラスメイトと行きました。
最後の旧型客車の日は、運動系のクラブに入ってたから行けませんでした。私も高校生の時ですわ。
最近は、JRになって利益追求型になったのも有るが、寂しくなったものだと思っております。
その母親も先月亡くなり、もうすぐ四十九日法要があり、思い出してカキコしました。
rialta6
コメントありがとうございます。
僕の中では、旧客までが日本でそのあとの列車はどこか知らない国の鉄道です。
思い出に役立てて嬉しいです。
Nice video!
Boris Lu 谢谢
1980年10月改正の段階でもしぶとく残存していた4往復中の935列車(福知山08時42分発・敦賀12時17分着)は乗り応えがあり、かつ後述の123D以上に面白みのある旅情を掻き立ててくれる列車でした(綾部で京都06時44分発の123Dから12分待ちで接続)。そのため駅弁も一度改札を出て買おうと思えば買えた時代でした。
しかしながらその935列車の到着約10分前に長岡行き旧客が敦賀を出てしまっていたダイヤだったため、敦賀での旧客同士での乗り継ぎが不可能なダイヤかと思われますが、935列車の41分後に発車する快速・富山行きが運良く福井で先ほどの長岡行き旧客に追い付くダイヤだったため、できないことはなかったはずです。
窓をいっぱいに開けて外気を取り入れ、アルコール類かコーク(コカ・コーラのことです)などのソフトドリンクと簡単なつまみを車内に持ち込みながら大自然と若狭湾を眺める面白そうで贅沢な旅、今ではもうこれができないのが残念で悔やまれます。
若狭線旧客は、見ただけで乗る事は叶いませんでした。
北陸も最後の激減化したダイヤにかろうじて間に合っただけでした。
日本海沿いをずっと旧客で乗るのは楽しかっただろうなと思います
@@user-tabiichiro
おはようございます。
「若狭線」ではなく、正しくは綾部~東舞鶴間が「舞鶴線」、東舞鶴~敦賀間が「小浜線」の誤りです。
しかしながら宮津線には終始旧客が走っておらず、福知山・綾部経由だと豊岡~西舞鶴~東舞鶴間では一度内陸部に入ってしまうため、海岸線を眺めることはできません。
rhscm989 そうでした、ここよく間違えるんですね
今にオイルの匂いとタバコの煙の匂いが臭ってきそうな雰囲気が、最高!
千葉雅裕 良くも悪くも昭和ですよ
うろ覚えですが小さい頃に乗った記憶があります
いいですね、旧型客車
記憶があるということはいいですね。
本当に素晴らしかったですね。
これこそ旅情でした
opショパンノクターン渋いですね
この曲は確か1979年に放送された日テレ熱中時代の裏番組にあたるTBSドラマ薔薇海峡で流れていたSUNTORYのCMで流れてましたが黒澤明監督がショパン聴きながらSUNTORY飲むのが渋かったです。確かに黒澤明監督同様渋味ある、旧型客車のそれもその最期には、ピッタリの曲かもしれませんね。
鉄道とは関係ない話ですが多分、誰も指摘しない思いますので(笑)
Candy Candy ノクターンは好きで、クラッシックギターで弾いていました。
ピアノも練習しましたが途中で挫折しました
これで夢の世界は終わりですか(。・_・。)切ないですね
n o そうです。
僕の中で、国鉄の旅情は永遠に終了しました。
昭和38年から倉吉から米子に通うのによく乗ってたなあ
当時 普通列車は(鈍行)長距離が多かったよなあ
よく乗ったのは西舞鶴行きとか門司行きとかねえ
今は懐かしいですなあ
その頃の画像があればいいがねえ・・・
shuma nonona`s
ありがとうございます。
なんとか旧客廃止半年前に間に合わすためにビデオを買いました。
その頃のがあればもっと今との比較ができてよかったですね
日本の旅情は終わった←私の中では と付け加えて下さい。
他に旅情を求めているは人は沢山います。
懐かしい映像をありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます
動画中の字幕は後から編集できないので、先原版の動画を発掘したこともあり、リニューアル版を変種いたします
それまではご勘弁ください。
そんなん書かかんでもわかるやろ
この映像は昭和61年10月30日じゃないか
宮内悠輔 そうですよ
乗っておられたのですか
まだ乗ってません。
別途フルバージョンをアップしています。、写ってませんか?
いいえ写ってません。